2005年12月23日

映画『男達の大和』

映画『男達の大和』昨日、念願の映画『男達の大和』を見に行きました。
大和といえば日本人の誰でもが知っている日本海軍の戦艦。軍隊を持たない現代の日本では軍艦という言葉を使う事は決してありませんが、現代っ子の私からしてみれば過去の日本で『戦艦』という名前の船を作っていた事自体がピンとこない世代でございます。『軍隊恐怖症』と言われる現代の私達日本人。それはもちろん、過去に国民が受けた悲惨な軍国主義の結果であります。
しかし、なぜか戦艦大和に関しては不動の人気が国民の中にある様に思えます。戦艦と付くだけで批判が出そう、ましてや日本が軍国主義であった時代の象徴の様な存在であります。
なのになぜ『大和』は密かなファンがいつの時代にも存在するのでしょうか。それは日本人が一美徳とする『潔さ・男らしさ』を彼らのイメージとして強く感じるからでしょうか。

映画『男達の大和』
私が戦艦大和に興味を持ったのは某テレビ番組の放送でした。
その放送で参考書として紹介されたのが戦艦大和の最期』(写真右→)
吉田満さんという大和の生存者の方が書いたものです。 この方はこの本を始め多くの作品を書かれる反面、日本銀行の総裁を務めるなど経済書も数多く発表されています。
このテレビ番組の最後で、ある若い士官の言葉が紹介されました。
『日本は戦争に敗北する事で目覚めるしか方法が無い。日本が目覚める為の先駆けとなるなら本望ではないか』 この言葉が当時の私にはガ~ンとくる言葉でした。特攻という作戦に参加せざるおえなかった仕官同士が特攻前夜にその意味について激しく討論を交わします。それは当時の士官には2種類あって、海軍兵学校を出た職業軍人と大学生から徴兵された学徒出陣の仕官です。職業軍人の士官は国の為に死ぬ事が本望と教育されていますし、学徒出陣の士官は将来の希望を持って大学に入ったのです。国の為に馬鹿げた作戦で死ぬ事に疑問を持って当然です。『日本は戦争に負けて・・・』という言葉を残した士官は臼淵大尉と言います。彼は職業軍人の士官でありました。本来なら国の為に死ぬ事を本望としている士官であるのですが、彼は日本の現在の立場を冷静に判断・分析をし、将来日本が生き残る方法が負ける事であると他の士官に言って聞かせた事が私の心に深く響いたのです。 目先の勝利では無く、本当に平和と日本の発展。将来の日本、強いて言えば<現在の私達が住む日本>の事を考えたくれていた事に感動しました。
はたして今の日本人である私達は先人が命がけで守ろうとした『日本国』の国民として恥じない生き方が出来ているでしょうか?
臼淵大尉の家は代々海軍の軍人一家であり、大和が特攻の為に出撃して沈没するまでの経過を見届ける役目が戦闘機乗りであった彼の父親であったそうです。大事な息子が戦艦大和と共に沈んでいく姿をどんな思いで見届けたのでしょうか。 その胸中は計り知れないものがあります。

映画の中では主人公が少年水平の立場でした。『死』という意味を理解できない少年達が多く戦死していった事は大和だけでは無く、沖縄戦においても同様であります。 元沖縄県知事の大田さんもそんな少年兵の一人でありました。多くの学友が戦死するなか、大田知事を含め3人の生徒が命を取り留めましたが、日本復帰後の基地問題に熱心に取り組まれた背景にはその様な過去があった事を日本の国民のどれだけが知っていることでしょう。そんな大田元知事の筆書の中で、当時の心境をこう語っておられました。『当時は死という事の意味を理解する事は無く、ただ国の為に死ぬという事に憧れを抱いていました。』そう、これが当時の少年兵の気持ちであったと思います。海軍にあたっては制服のカッコよさなどが志願する理由の1つであったそうです。

映画『男達の大和』(←海軍軍人時代の吉田満)
今回映画では家族の悲しみやどんな気持ちで特攻に一人一人が参加したのか。また、生き残った者の心の葛藤などを上手く2時間にまとめていました。実際には大衆受けが良い内容に偏ってはいたと思いますが、この映画を観た若者に<命の大切さ・戦争の残酷さ>は伝える事が出来る様に思いました。事故でも病気でもなく、同じ人間の命令によって自分の大切な人がこの世から居なくなるという事を、若い人達が真剣に考え理解してくれたらと思いました。


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Posted by Mac at 12:45│Comments(3)映画
この記事へのコメント
封切り日、初回で見に行ってきました。
戦争はいけないというのは簡単ですが、あまり簡単に言いすぎるとあの戦いで命を亡くされた人を、これまた軽んじそうで、考えねばと思います。臼淵大尉の「死ニ方用意」という意味、通じるところがあるもので・・・。
Posted by あぱっち at 2005年12月23日 21:35
観たい映画の一つです。
あまりにも人の生というもを肌に感じなくなった現代に
彼らの命と引き換えに得ている自分たちを忘れがちですが
振り返り、彼らの想いと、彼らから学ぶ事はたくさんあると
気づきます。
想いは時として、時代を超える。
そう、思います。
Posted by 琉球侍 at 2005年12月23日 23:38
あぱっちさんへ>
私もそうゆう意見には賛成です。
某テレビキャスターが、亡くなった方をダシに使って
金儲けしている!と憤慨していましたが、その意見には笑止でございました。気持ちは分かるのですが、今の若い世代にどうやってこの事実や当時の人たちの悲しい気持ちを伝える事が出来るかが重要だと私は思います。この映画はその1手段として悪くないと思います。臼淵大尉の言葉はやはりあぱっちさんには響くものがあったのでしょうか? 吉田満全集にこの臼淵大尉の事を書いた短編小説もありましたので、一度読んでみてはいかがでしょうか☆



琉球侍さんへ>
映画館ではほとんどが年配の方達ばかりでした^^;
本当は若い子が観たほうが良い映画だと思います。
確かに美化している部分はありますが、それ以上に命の大切さを表現している映画です。私も日々の生活で沖縄の方を含め、先人の命の引き換えに今の平和がある事を忘れがちです。この映画をみると初心に戻る気持ちというか、根本の考えが変わるように思います。もしこの映画を見に行くような事がありましたら、感想を是非お聞かせ下さいね^^
Posted by Mac at 2005年12月24日 12:08
 
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